セロ弾きのゴーシュと音楽に宿る命 宮沢賢治

セロ弾きのゴーシュと音楽に宿る命 宮沢賢治

ゴーシュは、楽長の厳しい叱責を受けても諦めることなく、夜遅くまでセロを弾き続ける青年でした。 練習のたびに同じ箇所でつまずき、楽長から「いつになったらまともに弾けるんだ」と怒鳴られるたび、彼は悔しさに唇を噛みしめます。それでも彼は弓を握り直し、指に痛みを感じながらも、深夜の静けさの中で一心不乱に音を紡ぎ出しました。 彼にとってそれは、ただ技術を磨くためだけではなく、音楽を通じて何か大切なものを掴みたいという、強い願いの表れだったのです。

そんなある晩のこと。部屋の隅に置いたランプの淡い光の中、一匹の猫が音もなく現れました。痩せた体に毛が少し逆立ったようなその猫は、部屋の中央で演奏を続けるゴーシュをじっと見つめています。 セロを弾く彼の動きに合わせて、猫の耳が微かにピクリと動き、目にはどこか不満げな光が宿っているようでした。「なんだ、猫まで俺を笑いに来たのか?」ゴーシュは苛立ちながらも弦を弾く手を止めることなく、むしろ勢いよく曲を奏で続けました。

翌晩には、小さな鳥が窓から部屋へ飛び込んできました。 首をかしげながらゴーシュの演奏を聴いているその様子に、彼はふとテンポを変えてみました。すると、小鳥は楽しげに羽を震わせ、小さな声で鳴き始めます。その反応を目にしたゴーシュは思わず微笑みました。「音楽ってのは、こんな風に感じるものなのかもしれないな……。」次第に彼のもとを訪れる動物たちは増えていきました。狸はゴーシュの足元でじっと耳を傾け、遠くから野生の象までがその音色に惹かれて現れるようになったのです。

動物たちは、ただの聴き手ではありませんでした。 彼らの反応は、ゴーシュが音楽をどのように奏でるべきかを教えてくれたのです。ある晩、狸がしっぽを振りながら近づいてきて、演奏の途中で軽く頭を叩くようなしぐさを見せました。驚いたゴーシュが音の高さを変えてみると、狸は満足そうに座り込みました。その瞬間、彼は気づきました。音楽とはただ正確に弾くものではなく、そこに感情を込めてこそ初めて生きるものになるのだと。

やがて迎えた演奏会の日。 ゴーシュは緊張しながらも舞台に立ち、観客の前で「印度の虎狩り」を演奏し始めました。初めの数音を奏でた瞬間、ホール全体がその音色に包み込まれます。 彼の弾く音は、これまでの練習と動物たちとの交流の中で磨かれてきたものでした。その力強い旋律は、まるで生きた虎が会場を駆け回るかのように聴衆の心を震わせ、演奏が終わると同時に大きな拍手の渦がホールを満たしました。

舞台袖に戻ったゴーシュは、客席からの歓声を聞きながら深く息をつきました。今、彼の胸には、音楽を通じて得た満足感と、自分が成長した実感が広がっています。 「あの猫や小鳥、狸、象たちが教えてくれたことが、やっと形になったんだな……。」そう呟く彼の顔には、穏やかな笑みが浮かんでいました。

ゴーシュにとって音楽とは、ただの技術の積み重ねではなく、自分自身の感情や思いを紡ぎ出す「生きたもの」でした。 そして、それを通じて他者とつながる喜びを知ったことが、彼が得た最大の宝物だったのです。