2026年5月4日
英文法は「誰が」決めたのか
― ルールの向こうにある、2000年の物語 ―
「なぜ英語には、こんなに面倒なルールがあるのだろう?」
現在完了形(have + 過去分詞)、関係代名詞、前置詞の使い分け……。勉強するほど増えていくルールの壁に、そう感じたことはないでしょうか。
実は英文法は、はじめから「完成品」として空から降ってきたわけではありません。何百年もの時間をかけて、さまざまな人間の事情と思惑が積み重なり、今の形になりました。「誰が、なぜ、どうやって」決めたのか――その歴史を知ると、暗記していたルールが、まるで違う顔を見せてくれます。
CHAPTER 01 「ラテン語」という憧れが生んだルール |
時は16世紀のヨーロッパ。当時の知識人にとって「洗練された言語」の代名詞は、ラテン語でした。科学、哲学、神学――あらゆる知的営みはラテン語で行われ、英語はまだ「庶民の雑多な方言」に過ぎないと見なされていました。
そこで学者たちは考えます。「英語にも、ラテン語のような体系的な文法を作れば、立派な言語になるはずだ」と。
KEY PERSON
ウィリアム・リリー(William Lily, 1468–1522)
イギリス初期の人文主義者。ラテン語文法書を著し、後の英文法の「型」を作った先駆者のひとり。その影響は、彼が意図しなかった形で数百年後の英語教育に刻み込まれることになります。
こうして英語の文法はラテン語を「お手本」として作られ始めました。しかし、ここに大きな問題がありました。英語とラテン語は、構造がまったく異なる言語だったのです。
| ラテン語由来の「無理やりルール」 | 本当のところ |
|---|---|
| 前置詞で文を終えてはいけない ✗ “Who did you talk to?” | ラテン語では前置詞を最後に置けない構造だっただけ。英語では自然な表現。 |
| 不定詞(to do)を分割してはいけない ✗ “to boldly go” | ラテン語の不定詞は1単語なので分割不能。英語の”to+動詞”に当てはめたのは無理筋。 |
もちろん、現在の英文法のすべてがラテン語の押しつけでできたわけではない。英語は長い歴史の中で、民衆の会話・ゲルマン語の語彙・フランス語の影響など多くの層を積み重ねてきた言語だ。ただ、「ラテン語的な権威」が特定のルールを固定化させた影響は、今も随所に残っている。
「権威ある言語に似せたい」という欲望が、英語本来の自然な表現を「誤り」に変えてしまう――文法の歴史は、その矛盾から始まったとも言えます。
CHAPTER 02 18世紀の「正しい英語」ブーム――誰かが「正解」を決めた瞬間 |
18世紀のイギリスは、急速に変化する時代でした。産業革命の芽が育ち、中産階級が台頭し、「教養ある英語」を身につけることが社会的上昇の切符になり始めた時代です。
「正しい英語を話したい、書きたい」という大衆の需要に応えるように、ある種の「権威ある文法書」が次々と出版されるようになります。
KEY PERSON
ロバート・ラウス(Robert Lowth, 1710–1787)
主教にして文法家。1762年に出版した『英文法序説』は大ベストセラーとなり、現代の英文法規範の多くを確立しました。シェイクスピアやミルトンの文章さえも「間違っている」と指摘したことで知られます。
ラウスたちが行ったのは、当時の多様な英語表現を「正しい/間違い」に仕分けする作業でした。これを規範文法(Prescriptive Grammar)と呼びます。
COLUMN ― 二重否定はなぜ禁止されたのか
かつての英語では “I don’t know nothing.” のような二重否定は、否定をさらに強調するごく自然な表現でした(現代の口語英語や多くの言語でも同様です)。
ところが18世紀の学者たちは「数学的に考えれば、マイナス×マイナスはプラスになる。だから二重否定は肯定のはずだ」と論じ、これを「誤った表現」と断じました。言語に数式のロジックを適用するという、いかにも啓蒙主義時代らしい発想です。
ここで重要なのは、彼らが「言語の実態を記述した」のではなく、「こうあるべきだ」という理想を押しつけた点です。文法書とは、発見の記録ではなく、権力による選別でもあったのです。
CHAPTER 03 日本の「学校文法」はこうして完成した |
19世紀から20世紀にかけて、英語教育は「教えやすさ」を最優先に整理されていきます。私たちが学校で習う「5文型(SVOC)」の体系は、まさにこの時代の産物です。
| 人物 | 貢献 |
|---|---|
| リンドリー・マレー Lindley Murray | 1795年刊行の文法書が英米で大ベストセラーに。標準的な英語規範の普及に大きく貢献。 |
| C.T. オニオンズ C.T. Onions | 1900年代初頭、SVOCの「5文型」理論を体系化。英語構造の分析モデルとして提唱。 |
| 細江逸記 ほそえ いっき | オニオンズの理論を日本に導入・普及させた英語学者。現在の日本の英語教育の礎を作る。 |
今あなたが教科書で学ぶ「第1文型・第2文型……」という分類は、実はこのような経緯で海を渡り、日本に定着したものです。「文型」は英語の真理ではなく、読むための補助線だと思えばいい。地図の等高線が山そのものではないように、文型は英語を理解するための「補助の線引き」に過ぎません。ツールとして使うものであって、覚えること自体が目的ではないのです。
CHAPTER 04 ルールが「面倒」に見える、本当の理由 |
歴史を踏まえた上で、日本人が特につまずきやすい3つのルールの「なぜ」を見てみましょう。
① 語順がなぜこんなに厳しいのか
古英語(Old English)は日本語と同様、語尾の変化(格変化)で主語・目的語を区別していたため、語順は比較的自由でした。ところが、9〜11世紀にかけてバイキング(デーン人)やノルマン人(フランス系)による征服が続き、異なる言語が混ざり合う中で、複雑な語尾変化が「面倒くさいもの」として失われていきました。
古英語(語尾変化あり) 「犬が」「人を」「噛んだ」 | 現代英語(語尾変化なし) The dog bit the man. |
語尾で役割を示せなくなった代わりに、英語は「どこに置くか=何者か」という語順のルールを採用したのです。S+V+Oの厳格さは、征服と混合が生んだ必然の産物です。
② 現在完了形(have + 過去分詞)はなぜ存在するのか
もともとは所有を表す構文でした。”I have the key lost.”(私は、失われた状態の鍵を持っている)というのが原型です。「過去に起きた出来事の結果が、今もここにある」という感覚を表現するために、この形が発達しました。
| 文 | 時間のイメージ | ニュアンス |
|---|---|---|
| I lost my key. | 過去の一点 ● → 今とは切り離されている | その後どうなったかは不明 |
| I have lost my key. | 過去●━━━━━▶ 今 → 今もその影響が続いている | だから今も鍵が見つからない |
日本語には「過去の一点」と「今へのつながり」を動詞ひとつで言い分ける仕組みがないため、現在完了形が「後付けの難解ルール」に見えてしまいます。しかし英語話者にとっては、時間の感覚そのものがこの形に宿っているのです。
③ 関係代名詞はなぜ「後ろから説明」するのか
日本語は「昨日買ったリンゴ」のように、修飾語を名詞の前に置きます。しかし英語の思考は、まず「何について話すか」を宣言してから説明を加えるスタイルです。
日本語の語順 昨日買った リンゴ 修飾語が先、名詞が後 | 英語の語順 the apple that I bought yesterday 名詞が先、説明が後 |
まず「リンゴ!」と確定させ、後から「あ、昨日買ったやつね」と補足する。これは英語の「結論先行・後付け補足」という根本的な発想の現れです。この思考順序の違いこそが、一文が長く複雑に見える原因です。
CONCLUSION
英文法は「生き物」である
英文法とは、「神が与えた絶対的なルール」ではありません。人々の習慣を土台に、18世紀の学者がラテン語の型に流し込み、近代の教育者が「教えやすい形」に整えた――その積み重ねです。
だからこそ、文法には「理不尽なルール」もあれば、時代の変化とともに「かつての間違いが正しくなる」こともあります。かつて禁じ手だった “It’s me.” も、今では完全に標準表現です。
ルールを丸暗記するのではなく、「なぜこうなったのか」という問いを持つこと。それが、英語を本当に「使える道具」にする第一歩です。
次につまずいたときのために
「このルール、理不尽だな」と感じたとき、一度だけ立ち止まって考えてみてください。――誰がこのルールを作ったのか。何を整理しようとしていたのか。 その問いが、丸暗記を「理解」に変える最短ルートです。
YBA教育研究会
YBA教育研究会では、各教科の学習を、単なる暗記や作業ではなく、「なぜそうなるのか」を考えるところから指導しています。
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