2025年4月30日

子どもは、世界に対して驚くほど無防備だ。
 目の前に広がるものすべてに、疑うことなく手を伸ばす。その行為がどんな結果をもたらすかなんて、考えもしない。ただ、心が動いた瞬間に体も動く。
芥川龍之介の『トロッコ』に登場する良平も、そんな衝動のままに生きる少年だった。
 村外れに置かれた工事用のトロッコ。それは、大人たちにはただの道具に過ぎなかったが、良平にとっては、世界の端を越えていくための乗り物に見えたのだ。
 押してみたい。乗ってみたい。理由も、目的もいらない。ただ、そうしたかった。それだけだった。
最初は、風を切るだけで胸が高鳴った。
 押して、走って、世界が勢いよく広がっていく。子どもの冒険とは、えてしてそんなものだ。あまりにも単純で、だからこそ美しい。
しかし、楽しいだけの冒険は存在しない。
 良平は若い土工たちに誘われるまま、遠くへ遠くへ押されていく。日が傾き、空の色が青から鈍い橙へとにじみはじめた頃、ふと、得体の知れない不安が胸を掴んだ。
 帰り道がわからない。
 心細さは、じわじわと背筋に染み込んでいく。
「ここからは一人で帰れ。」
 土工たちの何気ない一言は、良平を容赦なく現実に突き落とした。
 まだ小さな彼には、夕闇に沈む坂道は、世界の果てのように感じられたに違いない。
それでも、走った。
 足元の小石に何度もつまずき、涙と汗で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ただ家を目指して。
 あのときの良平は、きっと、人生という名の長い道を、一人で歩き出した瞬間だったのだろう。
家にたどり着いたとき、彼は声を上げて泣いた。
 それは、敗北の涙ではない。
 自分だけの力で恐怖を越えた、その痛みと誇りがないまぜになった涙だった。
大人になった良平は、東京で日々の仕事に追われながらも、ふとした瞬間に、あの薄暗い藪の影や、崖の向こうに広がる海を思い出すという。
 理由はない。ただ、あのときの孤独と、それでもなお前へ進んだ感覚だけが、今も静かに彼の中に息づいている。
成長とは、静かに積み重なる孤独の記憶だ。
 誰かに手を引かれるのではなく、自分の足で、怯えながらも一歩を踏み出した経験。
 成功や喜びだけでは、決して人は強くならない。
 怖さを知り、心細さに耐え、走り抜けたその記憶こそが、人間を本当の意味で大人にしていく。
『トロッコ』は、子どもの冒険心の輝きと、その裏に隠れた痛み、そして成長の原型を、静かに、それでいて鋭く捉えている。
 子どもたちが無鉄砲に踏み出すのは、単なる好奇心だけではない。
 まだ知らない世界のなかに、自分を試すために向かっていくのだ。
良平が、あの日、トロッコに手をかけたように。
 そして、今この瞬間にも、どこかでまた、小さな誰かが、世界に向かって一歩を踏み出している。