2025年11月19日

イタリア統一運動とその主導者たち
生徒:
イタリアって昔から一つの国だったんですか?
先生:
そうではありません。
イタリアは長い間、小さな国々に分かれていました。1815年のウィーン体制によって、北イタリアの多くはオーストリアの支配下に入り、半島全体が再び分裂状態に戻ってしまったんです。
生徒:
そんな中で、どうして統一を目指す動きが出てきたんですか?
先生:
19世紀は「自由」や「民族の独立」を求める時代でした。イタリアでも「自分たちの手で国を作りたい」という思いが広がったんです。
その中心にいたのがジュゼッペ・マッツィーニという思想家でした。
生徒:
マッツィーニってどんな人だったんですか?
先生:
1831年に秘密結社「青年イタリア」を作った人物です。
彼は「全イタリアを共和制のもとで統一する」という理想を掲げました。
しかし、その思想はあまりに急進的で、保守的な王や貴族、そしてオーストリアには危険視され、何度も弾圧を受けました。
彼の考えは時代を先取りしすぎていたとも言えますね。
生徒:
なぜ、そんなに弾圧されたんですか?
先生:
マッツィーニは「国王も貴族もいらない」と考えていました。
でも当時の人々の多くは王政のもとで暮らすのが普通でした。だから、彼の信念は共感を得られず、結果的に運動は孤立してしまったんです。
生徒:
その後、マッツィーニの考えはどうなったんですか?
先生:
1848年にヨーロッパ全体で「諸国民の春」と呼ばれる革命が起こり、イタリアでも各地で蜂起がありました。
しかし、統一を望む勢力はバラバラで、オーストリアの軍事力にも太刀打ちできず、最終的に失敗してしまいました。
この挫折で、人々は「理想だけでは統一できない」と痛感し、外交と王政による現実的な路線が選ばれるようになったんです。
生徒:
その現実路線を進めたのがカヴールなんですね?
先生:
そうです。カミッロ・カヴールはサルデーニャ王国の首相で、非常に優れた政治家でした。
1858年にフランスのナポレオン3世とプロンビエールの密約を結び、翌年の1859年にオーストリアとの戦争(イタリア統一戦争)を始めました。
生徒:
戦争には勝てたんですか?
先生:
はい、フランスの援助で勝利し、ロンバルディアを手に入れました。
ただ、その見返りにサヴォイアとニースをフランスに譲らなければならなかったんです。
生徒:
えっ、勝ったのに領土を渡したんですか!?
先生:
そうなんです。これが「統一の代償」と呼ばれます。
それでも、イタリア統一は確実に前進しました。
生徒:
ガリバルディって人も出てきますよね?彼はどんな役割をしたんですか?
先生:
ジュゼッペ・ガリバルディは情熱的な軍人で、若い頃はマッツィーニと親しい友人でした。
どちらも共和主義者として理想を共有していましたが、後に道を分かちます。
1860年、ガリバルディは「千人隊(I Mille)」を率いてシチリアに上陸し、南部イタリアをわずか数ヶ月で制圧しました。
そして、征服した土地を自分のものにせず、サルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上したんです。
生徒:
それでマッツィーニは喜んだんですか?
先生:
そうでもありません。
マッツィーニは「共和制による統一」を信じていたので、ガリバルディが王政のもとで統一を認めたことに深く失望しました。
このことで二人の友情は壊れてしまったんです。
生徒:
カヴールとガリバルディは仲が良かったんですか?
先生:
実際には対立していました。
カヴールはガリバルディを「危険な理想家」だと思っていて、ガリバルディもカヴールを「冷たい現実主義者」だと感じていました。
ただ、その緊張関係があったからこそ、理想と現実のバランスが取れたとも言えます。
生徒:
統一はいつ完成したんですか?
先生:
1861年にイタリア王国が成立しましたが、まだ完全ではありませんでした。
ヴェネツィアは1866年、イタリアがプロイセン側についた普墺戦争の結果、併合されます。
ローマは1870年の普仏戦争の混乱の中でイタリア軍が進軍し、ようやく統一が完成しました。
生徒:
カヴールは統一の完成を見届けられたんですか?
先生:
残念ながら見届けられませんでした。
カヴールは1861年6月、王国成立のわずか3ヶ月後に亡くなりました。
彼はローマとヴェネツィアの統一を見ることなく、この世を去ったんです。まさに歴史の皮肉ですね。
生徒:
ローマを取ったあと、教皇はどうしたんですか?
先生:
教皇ピウス9世は激しく反発し、自らを「バチカンの囚人」と名乗りました。
この「ローマ問題」は長く続き、1929年にムッソリーニのファシズム政権下でラテラノ条約が結ばれるまで解決しませんでした。
生徒:
統一のあとは順調だったんですか?
先生:
政治的には統一しましたが、社会的には課題が多く残りました。
特に南部では、大地主(ラティフンディスタ)による土地支配が続き、工業化が進まなかったんです。
貧しい農民たちはマフィアに頼らざるを得ず、「南部問題」が深刻化しました。
生徒:
結局、イタリア統一は成功だったんでしょうか?
先生:
難しい質問ですね。
成功した面も、そうでない面もありました。
領土は統一されましたが、マッツィーニが夢見た共和国ではなく王国でした。
カヴールが目指した経済発展も北部中心で、南部は取り残されました。
ガリバルディも「理想が裏切られた」と感じ、不満を抱き続けたんです。
つまり、誰の理想も完全には実現しなかった。
それでも、異なる信念を持つ人々が力を合わせたことで、イタリアという国が生まれたのです。
生徒:
なるほど……イタリア統一って、成功でもあり、不完全でもあったんですね。
先生:
そうです。だからこそ、この歴史には「人間の信念と現実のはざま」がよく表れているんです。