アリストテレスと“なぜ”の本質──答えよりも大事なこと

アリストテレスと“なぜ”の本質──答えよりも大事なこと

なぜ人は問い続けるのか――好奇心と成長の関係

「なんでだろう?」
小さい頃、空を見上げてよくそう思った。雲の形が変わっていくのを眺めながら、「どうしてこんなに動くのかな」とか、「空ってどこまで続いてるんだろう」とか。別に答えが欲しかったわけじゃない。ただ、知りたい気持ちが止まらなかった。

アリストテレスは、『形而上学』の中でこう書いている。
「すべての人間は、生まれつき知を求める」と。
この一文を読んだとき、「ああ、自分のあの気持ちって、ちゃんと人間らしいことだったんだな」って、ちょっと安心したのを覚えている。

大人になるにつれて、問いを持つことが少し面倒になってくる。学校では「正しい答え」が重視されるし、社会に出ると効率や結果が求められる。だから、「なぜ?」よりも「どうすれば?」に意識が向いてしまう。それも仕方のないことだと思う。

でも、ふと立ち止まって考える。
「なんで自分はこの道を選んだんだろう?」
「なんで、あのときあんなに悩んだんだろう?」
そういう問いが、意外と心の奥深くを掘り下げてくれることがある。

問いって、答えが出るものばかりじゃない。むしろ、出ない問いのほうが多いかもしれない。だけど、問いを持つことで初めて、自分がどこに立っているのか、何を大切にしているのかが見えてくる。それが成長ということなのかもしれない。

アリストテレスは、ただ知識を集めるのではなく、その奥にある理由や原理を探ることが本当の学びだと語っている。深く問い続けることで、世界の見え方が少しずつ変わっていく――それは、勉強に限らず、人との関係や生き方にも通じる話だ。

今でも、「なんで?」と思うことはよくある。ニュースを見ていても、人と話していても、ふとしたことで湧き上がる疑問。それを流さずに、大切にしていきたいと思う。

すぐに答えが出なくてもいい。ただ、「なぜ?」と問い続けることが、きっと、自分を育ててくれる。そんなふうに思えるようになったのは、アリストテレスの言葉と、過去の自分の好奇心のおかげかもしれない。