古代日本の稲作進化を描く:水田開発と灌漑システムの歴史

古代日本の稲作進化を描く:水田開発と灌漑システムの歴史

生徒: 昔の日本で米作りはどうやって始まったんですか?

先生: 米作りは九州地方で始まったんだよ。それから100年ほどで、近畿地方や関東地方、さらには東北地方の南部にも広がっていったんだ。

生徒: 米作りが広がると、どんな変化があったんですか?

先生: 米作りが始まると、人々の生活が大きく変わったんだよ。食べ物が増えて、生活が豊かになったんだ。

生徒: お米はどこで作られていたんですか?

先生: 最初は低くて湿った場所で作られていたけど、だんだんと高い場所でも作るようになったんだ。静岡市にある登呂遺跡では、大きな水田があって、水を管理するための溝が作られていたよ。

生徒: お米を植えるときや収穫するときには、どんな道具を使っていたんですか?

先生: お米の種は直接地面にまかれて、最初は木でできた農具を使っていたんだ。でも、時間がたつにつれて、鉄を使った農具に変わっていったんだよ。お米を刈る道具も、最初は石でできた包丁だったけど、後には鉄のかまに変わったんだ。

生徒: 鉄はどこから来たんですか?

先生: 当時の鉄は、主に朝鮮半島から輸入されていたんだけど、日本国内でも中国地方の山で砂鉄が採取されていたんだ。瀬戸内海沿岸では塩も作られていて、鉄や塩の交易が日本のいろいろな場所で行われていたんだよ。