2026年6月9日

YBA教育研究会|哲学読解シリーズ
【自由って、しんどい】
チェンソーマンで読み解く
サルトルの実存主義
「犬になりたい」という絶叫が、20世紀を代表する哲学者の思想と深く響き合う理由
「自分で考えるのをやめて、ただ誰かの命令に従いたい」——そう思ったことはありますか?
マンガ『チェンソーマン』の主人公・デンジがたどり着くこの叫びは、
フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルが70年前に「自己欺瞞(モーヴェーズ・フォワ/mauvaise foi)」と呼んで警告した状態と、驚くほど響き合っています。
▼ この記事の内容
- サルトルとは何者か
- 「実存は本質に先立つ」——デンジがゼロから始まる理由
- 「自由の刑」——マキマの犬になることの哲学的意味
- 「自己欺瞞」——「犬になりたい」という叫びの正体
- 「アンガージュマン」——マキマを食べるという選択
- 第二部とサルトル——自由は終わらない
※第一部終盤・第二部のネタバレを含みます
1. サルトルとは何者か
ジャン=ポール・サルトル(1905〜1980)は、20世紀フランスを代表する哲学者・作家です。
「実存主義(じつぞんしゅぎ)」という哲学の旗手として、「人間とは何か」「どう生きるべきか」を問い続けました。
ノーベル文学賞を辞退したことでも有名で、「賞に縛られたくない」という姿勢そのものが、彼の哲学の体現でした。
難解なイメージがありますが、その核心は意外とシンプルです。「あなたの人生の意味は、あなた自身が選んで作るしかない」——それだけです。
KEYWORD
「実存主義」とは
「人間に決められた本質(役割・使命)はなく、まず存在してから、自分の意志で自分を作っていく」という考え方。
特にサルトルの実存主義では、神や運命があらかじめ人生の意味を与えるという考えを退け、すべての責任を「自分自身」に置く。
2. 「実存は本質に先立つ」——デンジがゼロから始まる理由
サルトルの最も有名な言葉が「実存は本質に先立つ(L’existence précède l’essence)」です。
ハサミのような道具は、「紙を切るため」という目的(本質)が先にあって、それに合わせて作られます。
しかし人間は違う。生まれた時点で「君はこのために生きなさい」という本質など、どこにも書かれていません。
先に「ここにいる」という事実(実存)があって、何者かは後から自分で決めるのです。
📖 チェンソーマンで言えば
デンジは「正義のヒーロー」として生まれたわけではありません。親の借金を背負い、まともな食事も家もない状態からスタートします。
彼には最初から決められた「立派な使命」などない。だからこそ、自分が何者かを自分で決めなければならない——それがサルトルの言う「実存」の出発点です。
受験勉強でも同じことが言えます。「なんで勉強するのか」という問いに、最初から答えは用意されていません。意味は自分で見つけるしかないのです。
3. 「自由の刑」——マキマの犬になることの哲学的意味
サルトルはこう言いました。「人間は自由という刑に処されている」。
「自由」は聞こえがいいですが、サルトルにとってそれは重荷でした。
自分で選ぶ以上、その結果の責任もすべて自分が負う。逃げ道はない。これが「刑」と表現される理由です。
📖 チェンソーマンで言えば
謎の美女・マキマがデンジに言いました——「私の犬になるなら、衣食住を与えて育てる」。
まともな愛を知らないデンジは、彼女に従うことを選びます。
自分で考えず、命令通りに動く「犬」でいる時間は、たしかに楽でした。
選択しなくていいから、責任も生まれない。それが自由から逃げる快楽です。
「誰かに言われた通りにやっていれば安心」という感覚——これは日常のあちこちにある罠です。
親や先生の言葉を参考にすること自体は悪くありません。問題は、それを自分で考え直さないまま、「自分には選択肢がない」と思い込むことです。サルトルはその思い込みを、自由の刑からの逃走と見ていました。
4. 「自己欺瞞」——「犬になりたい」という叫びの正体
物語のクライマックスで、仲間を次々と失ったデンジは叫びます。
「もう自分で選びたくない。マキマさんの犬でいい」。
サルトルはこれを「自己欺瞞(モーヴェーズ・フォワ/mauvaise foi)」と呼びます。
自分が自由に選べる存在であることを知りながら、「私には選択肢がなかった」「こういう人間だから仕方ない」と、自分の自由と責任を見ないふりすること。
サルトルの分類:「即自存在」と「対自存在」
| 即自存在(en-soi) | 石や椅子のような「モノ」。自意識がなく、ただそこにある存在。 |
| 対自存在(pour-soi) | 人間。自分自身を意識し、選択し、自分を作り続ける存在。 |
「犬になりたい」——もちろん犬は石や椅子のようなモノではありません。ここで重要なのは、デンジが「自分で選ぶ人間」ではなく「命令に従うだけの存在」になりたいと願っている点です。サルトル的に読めば、これは対自存在としての自由から逃げようとする姿であり、サルトルならそこに「自己欺瞞」を見るでしょう。
もちろん、環境や能力の制約はあります。しかし、それを理由に「自分には選ぶ余地が一切ない」と決めつけるとき——サルトルならそこに自己欺瞞を見ます。
選んでいないように見えて、「選ばないことを選んでいる」のだ、と。
5. 「アンガージュマン」——マキマを食べるという選択
サルトル哲学で最も重要なキーワードが「アンガージュマン(engagement)」——「主体的関与」とも訳されます。
他人のせいにせず、自分で選んで、その結果をすべて引き受けること。これこそが「誠実な人間」の生き方だと言います。
デンジの結末を思い出してください。
彼はマキマを倒すにあたって、「憎しみで排除する」のではなく、「俺はまだマキマさんが好きだ」という割り切れない感情ごと抱えたまま、
彼女を騙して殺し、その遺体を料理して「食べる」という選択をしました。
📖 なぜ「食べる」のか
もちろん、これは現実の倫理として肯定できる行為ではありません。ここではあくまで物語内の象徴的行為として読んでいます。
重要なのは、デンジがその選択を「誰かに命じられたから」ではなく、「俺はまだマキマさんが好きだ」という割り切れない感情ごと引き受けて行ったことです。サルトル的に読むなら、外から見れば正当化しがたいこの選択の中に、自由の恐ろしさと責任の重さが現れています。ここでデンジは、マキマの支配から抜け出し、自分の選択を引き受ける一歩を踏み出した、と読むことができます。
デンジは「世界を救う」などとは一言も言いません。自分の欲望や矛盾から目をそらさず、その選択の責任を引き受ける——サルトルが「不誠実から抜け出そうとする人間」と呼ぶのは、まさにこういう姿です。
6. 第二部とサルトル——自由は終わらない
第一部でマキマから自立したデンジは、第二部で普通の高校生として生きようとします。
しかし今度は「チェンソーマンとしてモテたい」と「普通の生徒でいたい」という矛盾した欲望に引き裂かれていきます。
これはサルトルが言った「人間は未完成であり、常に自分を作り続けなければならない」という命題そのものです。
「自由の刑」は、マキマを倒したからといって終わりません。
生きている限り、選択は続き、責任は続く。
サルトル哲学で読むなら
「第二部でまた泥沼にはまっていくデンジの姿こそが、実存の証明だ。
人間は一度正解を出したら終わりではない。未完成のまま、選び続けることそのものが人間なのだ。」
※サルトル本人の言葉ではなく、サルトル哲学をもとにした現代語での解釈です。
▼ サルトル×デンジ 読解マップ
| サルトルの概念 | チェンソーマンでの場面 |
|---|---|
| 実存は本質に先立つ | デンジが与えられた使命なしにゼロからスタートする |
| 自由の刑 | マキマの犬でいた時の「楽さ」と、それを拒絶した後の重さ |
| 自己欺瞞 | 「犬になりたい=意志を持つことを放棄したい」という叫び |
| アンガージュマン | 好きなまま殺し、食べるという矛盾ごと引き受けた選択 |
あなたは今、誰かの「命令通りに動く犬」になっていないでしょうか。
そして、もしそうだとしたら——それは本当に、自分で選んだことでしょうか。
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