【アドラー心理学】「他人に期待するのをやめる」は冷たくなることではない|『課題の分離』の誤解と真実

【アドラー心理学】「他人に期待するのをやめる」は冷たくなることではない|『課題の分離』の誤解と真実

Philosophy  /  Alfred Adler

「他人に期待するのをやめる」は、
冷たくなることではない

アドラーが引いた線は、人と人を切り離すためのものではなかった

中学生〜保護者の方へ|難易度 ★★★☆☆

「何度言ったら分かるの?」

「普通、それくらいやるでしょ」

「もういい。あなたには期待しない」

親子でも、職場でも、期待はしばしば、最後にこの形になります。
言い続けて疲れ果てると、今度は反対側へ振り切れる。

「他人に期待するのをやめると、人生が変わる」

書店の自己啓発コーナーでも、SNSでも、よく見かける言葉です。

しばしば、傷つかないための予防線として語られます。

期待しなければ、裏切られない。だから期待するのをやめよう、と。

ところが、一般にこの言葉と結びつけて語られるアドラー的な考え方は、
そのどちらでもありません。
言い続けることでも、突き放すことでもない、第三の道を取ります。

順番が逆に伝わることが多いのです。「期待をやめる」は結論ではなく、入り口です。
そして入り口だけを取り出して紹介すると、この思想は
「他人に無関心でいるための便利な理屈」に化けます。
教育の現場でも、この使われ方は珍しくありません。

この記事では、まず「期待」という言葉の中身を分解し、次に出典を整理し、
そのうえで、この考え方が危険になる場面まで正直に書きます。
使える道具にするには、刃の向きと、切ってはいけない相手を知っておく必要があります。

01

「期待」という一語には、三つの中身が入っている

「期待をやめろ」という助言が乱暴に響くのは、期待をひとかたまりで扱っているからです。
ここでは話を整理するために、日常語の「期待」を三つに分けてみます
(この三分類は、この記事のための整理です。アドラーの用語ではありません)

① 予測 ──「たぶん、そうするだろう」

待ち合わせに来るだろう。宿題をやってくるだろう。
これは相手を人として見積もる作業で、関係を結ぶための前提です。
これを捨てたら、誰とも約束ができなくなります。捨てる必要はありません。

② 要求 ──「そうすべきだ」

ここから性質が変わります。予測が、いつのまにか相手への命令になる。
「普通はこうするでしょ」という言い方が典型です。自分の基準を、相手の行動に貼りつけている

③ 委託 ──「そうしてくれないと、私が不幸になる」

これが本体です。自分の機嫌・自尊心・幸福の管理を、相手の行動に預けてしまっている状態。
相手が思い通りに動けば上機嫌、外れれば激怒。
自分の感情のスイッチが、他人の手の中にあるということです。

アドラー的な考え方から見て問題になるのは、主に②と③です。①まで捨てる必要はありません。
ここを分けないと、「期待するな」が「人を信じるな」に化けます
そして実際、そう読める解説も少なくありません。

分けたうえで見ると、②③と「信頼」の違いもはっきりします。似た言葉ですが、向けている先がちがう。

期待(②③)

相手が「特定の行動をとること」に賭ける

結果に条件をつける。外れれば、怒りか失望に変わる。

信頼

相手が「自分で決められること」を認める

結果を保証させない。思い通りにならなくても、決める機会を渡したこと自体は残る。

02

ところで、これは誰の「アドラー」なのか

先へ進む前に、一度だけ地味な作業をします。
日本で「アドラー」として語られている内容には、三つの層が混ざっているからです。

中身
アドラー本人
1870–1937 / ウィーン
劣等感、共同体感覚(Gemeinschaftsgefühl)、ライフスタイル、人生の課題。
人を原因からだけでなく目的からも見る立場。
後継者たち
ドライカースら
子育て・教育への応用。「自分の行動の結末は本人が引き受ける」という育て方の整理。
日本での再構成
野田俊作/『嫌われる勇気』
「課題の分離」という用語。2013年の『嫌われる勇気』による一般への普及。

◆ 「課題の分離」は、アドラー自身が使った用語ではありません。

アドラー心理学を日本に導入した精神科医・野田俊作が、
弟子のドライカースの教育論をもとに、日本向けの親子関係プログラムを作る過程で
整理し、名づけた用語だとされています。
アドラーの思想から生まれた考え方ではありますが、アドラーの直筆ではない。

※ 命名の経緯そのものは、アドラー心理学の実践者による記述に基づくもので、
一次資料で確認したものではありません。ここは断定を避けています。

細かいようですが、ここは効きます。
出典があいまいなまま「アドラーはこう言っている」と権威づけされると、反論しにくくなるからです。
以下、三層をまとめて「アドラー的な考え方」と呼びますが、
どこが誰の主張かは、必要な場面で明示します。

03

線を引く基準は、「最後に結末を引き受けるのは誰か」

では、どこで線を引くのか。基準はひとつです。
その選択の結末を、最終的に自分の身で引き受けるのは誰か。引き受ける人が、その課題の持ち主です。

たとえば、勉強

勉強しなかった結果、試験でつまずくのは子ども本人です。親ではない。
だから「勉強するかどうか」は、子どもの課題になります。
一方、それを見てイライラするのは親の課題です。
「勉強しなさい」という言葉が届きにくいのは、
自分の課題を、相手の課題に投げ返しているからです。

よく引かれる比喩があります。馬を水辺まで連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない
ただし、この比喩は後半だけを引用されがちです。水辺まで連れて行くのは、こちらの課題だという前半が落ちる。
環境を整えること、選択肢を示すこと、助けが要るかを尋ねること。これは全部こちら側の仕事です。

こちらの課題相手の課題

机と時間を用意する

教材や選択肢を示す

「手伝おうか」と尋ねる

尋ねられたら全力で応える

実際に机に向かうか

どの教材を選ぶか

助けを求めるかどうか

その結果をどう受け止めるか

ここで、多くの解説が触れない点をひとつ。
この線は、一度引いたら終わりの固定線ではありません
小学2年生と高校3年生では、引き受けられる結末の重さがまるで違う。
幼い相手に大人と同じ線を引けば、それは分離ではなく放置です。

線は、相手の力の伸びに合わせて、少しずつ相手側に動かしていくものです。
アドラー心理学の側でも、一度話し合って決めた後も相手を見守り続け、
必要なら分担を組み直す作業がいる、と説明されています。
教育の場面では、課題の分離を「境界線を引く技術」ではなく、成長に合わせて境界線を渡していく過程と考えたほうが、実態に合います。

04

「あなたの課題だから」は、免罪符にならない

日本では「課題の分離」だけが有名になりすぎました。
そのせいで、いちばん重要な次の一手が落ちています。
アドラー心理学には、分離のあとに「共同の課題」という段階があります。

分離のあとに来るもの

誰の課題かを確認する。

そのうえで、本人と話す。

本人が望むなら、二人の課題として引き受け直す

誰が何を担当するかを決める。

分けるのは、切るためではありません。
誰が何を担当しているのかを、見えるようにするためです。

宿題そのものは子どもの課題です。しかし
「一人だと何から手をつけていいか分からない。最初の30分だけ一緒にやってほしい」
と本人が言えば、そこから先は協力の話になります。
勝手に手を出すのが越境で、頼まれて手を出すのは共同。まったく別のことです。

逆に言えば、「あなたの課題だから」で関係を切って終わるのは、課題の分離の完成形ではありません
それは途中で手を止めているだけです。
この点は外野の批評ではなく、アドラー心理学の側が自ら言っていることです。
野田俊作の名を冠する財団の公式Q&Aは、
一度分けたきりで「あなたの課題だから」と打ち切るなら、
それは無責任な放任育児であってアドラー心理学ではない、と明言しています。

05

期待をやめた先は、無関心ではない

ここまでを、二つの台詞に圧縮できます。

「これはあなたの課題だ。私は手を出さない。」

「ただし、必要になったらいつでも言ってほしい。私はここにいる。」

前半だけなら放任、後半だけなら過干渉。両方あって初めて成立します
前半だけを切り取ったものが、世に出回っている「他人に期待するな」です。

アドラーの体系で、いちばん大事な言葉は「課題の分離」ではありません。
共同体感覚(Gemeinschaftsgefühl)です。
自分がこの共同体の一員であり、ここに居場所があり、誰かの役に立てているという感覚。
分離は、そこへ向かうための第一歩であって、目的地ではない。

この文脈でなら、アドラーの言う貢献も無理なく読めます。
他者への実際の協力と、「自分はここで役に立てている」という所属感の両方が重視される。
ただし、相手に感謝されたかどうかは、また相手の課題です。

ここでようやく、最初の問いに戻れます。他人に期待するのをやめると、何が変わるのか。
「なぜ分かってくれないのか」に使っていた時間と労力が、
「いま自分に何ができるか」の一点に戻ってくる
変わるのは他人ではなく、自分の使える手札の枚数です。

06

この考え方が危険になるとき

強い思想ほど、限界を書かずに紹介されます。
ただし、危険の多くは思想そのものではなく、流通している読み方のほうにあります。
分けて書きます。

── 広まっている読み方の誤り

「過去は関係ない」を、文字通り受け取ること

アドラー心理学では、人の行動を過去の原因だけで説明せず、
「いま何を目指してその行動をしているのか」という目的からも見ます。
ここから、「トラウマは存在しない」「過去のせいにするな」
という乱暴な要約が、一人歩きしています。

ところが、この要約はアドラー心理学の側が明確に否定しているものです。
野田俊作の名を冠する財団の公式Q&Aは、
強い生理的ストレスが脳に生物学的な変化やトラウマ記憶をもたらし、
後遺症を残しうることを認めると述べています。
深刻な虐待や災害による苦しみについても、それを本人が「利用しているだけ」などと
軽々しく扱うことはしない、と明記しています。

つまり、苦しんでいる人に「それはあなたが選んでいる」と言うのは、
思想の応用ではありません。本家が禁じている使い方であり、
加害になりえます。

分けたまま、止まってしまう

第4章で書いたとおりです。分離で終われば、それはただの放任。
「共同の課題にできるところはないか」まで進んで、はじめて一往復になります。

刃が、自分に向く

他人への要求を手放した人が、次にそれを自分へ向けることがあります。
「もっとできるはずだ」「なぜこの程度なのか」。
アドラー派の自己受容は、この自己攻撃を止めるための考え方ですが、
努力をやめることではありません。
できない部分を正確に認めて、そこを出発点にする
現在地を書き換えるのではなく、正しく測る作業です。

── 外から見たときの限界

線を引く権限は、たいてい強い側が握っている

「本人の課題ですから」。教育でも職場でも、この一言は驚くほど便利に使えます。
力の差がある関係では、どこに線を引くかを決めるのは強い側です。
親と子、教師と生徒、上司と部下。
線を引く側が引かれる側より強いとき、課題の分離は、支援を打ち切るための正当化にすり替わります。

これは誤読というより、理論の側にあらかじめ組み込まれた弱点です。
「話し合って共同の課題にする」という手続きも、
話し合いの席を用意する権限を持っているのは、やはり強い側だからです。
自分がどちら側に立っているかは、常に確認する必要があります。

学術的な位置づけについて

アドラー心理学は、現代心理学に大きな歴史的影響を残していますが、
現代のエビデンスに基づく心理療法の中心に位置しているわけではありません。
日本での知名度の高さには、2013年の『嫌われる勇気』の影響が非常に大きい。
人間関係を見るための一つの枠組みとして使うのと、
「科学的に効果が確立した治療法」として扱うのは、分ける必要があります

07

実際に使うなら、この四つの問いだけ

誰かに苛立ったとき、順番に自分へ投げてみてください。

◎ その結末を、最後に引き受けるのは誰か。

◎ 私はいま、予測しているのか、要求しているのか。

◎ これは相手一人の課題のままでいいのか、話し合って「共同の課題」にしたほうがいいのか。

◎ 相手が力をつけるにつれて、私はこの線を動かしてきたか。

四つ目が、いちばん忘れられます。
去年と同じ線を今年も引いているなら、それは分離ではなく、こちらの手抜きか、過保護のどちらかです。

「他人に期待するのをやめる」を、傷つかないための予防線として使うと、人は静かに孤立していきます。
期待をやめた分だけ関心も減らしてしまえば、残るのは何も起きない安全な関係だけです。

アドラーが引いたのは、そういう線ではありませんでした。
相手を動かそうとする手を引っ込めて、その手を、待つことと差し出すことに使い直す
期待を減らして、関心はむしろ増やす。順番はそちらです。

いま自分がやろうとしているのは、相手を変えることか、

それとも相手が決められるようにすることか。

参考にした資料

一般財団法人 野田俊作顕彰財団 Adler Institute Japan「アドラー心理学Q&A」

課題の分離・共同の課題/トラウマと原因論の項

岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社、2013年

本文中、アドラー本人の考えと、日本のアドラー心理学による定式化と、
筆者自身の整理は、それぞれ区別して記しています。

YBA 教育研究会

1975年創立 / 完全1対1の個別指導

東大・京大・一橋大・東京科学大・阪大出身の講師、大学教授、大手予備校講師、英検1級取得者が指導にあたります。
小学生から大学受験まで、一人ひとりの「わからない」に、その場で向き合います。

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