【現代文・小論文】友達は多いほうがいい?アリストテレスの友情論「フィリア」が教える「数より質」の本当の意味

【現代文・小論文】友達は多いほうがいい?アリストテレスの友情論「フィリア」が教える「数より質」の本当の意味

YBA哲学シリーズ

友達は多いほうがいい?

アリストテレスの友情論「フィリア」が教える
「数より質」の本当の意味

経堂の完全1対1個別指導塾 YBA教育研究会

「友達は、多ければ多いほどいい」。

私たちはどこかで、そう思い込んでいないでしょうか。

クラスで友達が多い人は人気者に見えるし、SNSのフォロワーが多い人は充実して見える。「友達が少ない自分は、どこかおかしいのかな」と不安になったことのある人も、少なくないはずです。

ところが、この「常識」を真っ向から否定した人物がいます。

今から約2400年前の古代ギリシアの哲学者アリストテレスです。彼の考えを現代風に一言で言えば、こうなります。「本当の友を多く作ることは、そもそも構造的に不可能だ」

これは「友達が少なくても我慢しなさい」という慰めではありません。人間関係の仕組みを冷静に分析した結果、論理的にそうなる、という話です。スマートフォンもSNSもなかった時代の思想が、なぜ今の私たちの「つながり疲れ」をここまで正確に言い当てるのか。順に見ていきましょう。

◆ アリストテレスが分類した「3種類の友達」

アリストテレスは主著『ニコマコス倫理学』の中で、友愛(フィリア)を3つのタイプに分類しました。なお、フィリアという言葉は現代の「友達」よりも広く、家族や共同体の結びつきまで含みますが、この記事では学校生活に引き寄せて「友達」として考えます。ポイントは、「相手の何を愛しているのか」で関係の寿命が決まる、という視点です。

タイプ愛している対象関係の寿命現代の例
利害の友相手がくれる「利益」利益が消えたら終了仕事上のつながり、試験前だけノートを借りる関係
快楽の友相手がくれる「楽しさ」趣味やノリが変わったら終了遊び仲間、推し活仲間、ゲームのフレンド
善の友相手の「人柄・生き方(善さ)」変化に左右されにくく、長続きしやすいお互いが善く生きることを願い合える親友

注意したいのは、最初の2つの友達の場合、あなたが好きなのは「相手そのもの」ではなく、相手が運んでくる「得」や「楽しさ」だという点です。

だから、クラス替えで席が離れたり、部活を引退したり、はまっているゲームが変わったりすると、驚くほどあっさり連絡を取らなくなります。心当たりがある人も多いのではないでしょうか。

ただし、アリストテレスはこの2つを「悪い友達」だと責めているわけではありません。人生をスムーズに、楽しくするためには必要な関係だと認めています。問題は、この2つをいくら増やしても「善の友」の代わりにはならない、ということなのです。

もう一つ大切な注意があります。この3分類は、「あの人は利害の友だ」と人間をランク分けするための表ではありません。関係の性質を見分けるための、いわば地図です。最初はゲーム仲間や推し活仲間だった関係が、長い時間をかけて、お互いの弱さや目標を支え合う「善の友」へ育つこともあります。大切なのは、友達の数を増やすことではなく、どの関係に時間と責任を注ぐかを見極めることなのです。

◆ なぜ「本当の友」は多く作れないのか

一度だけピアノを弾いても、ピアニストにはなれません。それと同じで、一度か二度、楽しく話しただけでは「善の友」にはなれません。アリストテレスは、その理由を3つ挙げています。

◎ 時間の限界

善の友になるには、長所も短所も知り尽くすほど長い時間を共に過ごす必要がある。アリストテレスの言葉を借りれば「一緒に塩を舐め尽くす」ほどの時間──つまり、長い年月を共にし、相手の甘い面も苦い面も知り尽くすということです。人間の持ち時間は有限なので、大勢とそんな深い時間は過ごせません。

◎ 愛情の総量の限界

誰かを深く大切にするとは、自分のエネルギーを強く注ぎ込むこと。多くの人を同時に最高レベルで愛することは、人間には不可能だとアリストテレスは考えました。

◎ 矛盾の発生

親友Aが大喜びしているまさにその日に、親友Bはどん底にいるかもしれない。友達が多すぎると、一人ひとりの人生に寄り添いきれず、自分のほうが先に壊れてしまいます。

つまり「善の友が数人しかいない」のは、あなたの性格や社交性の問題ではなく、人間という生き物の構造上、そうなるしかないのです。アリストテレスの基準で言えば、あなたの肩書きでもノリの良さでもなく「あなたという人間そのもの」を尊重してくれる人が1人か2人いるなら、それはすでに大きな財産です。まだ見つかっていなくても、焦って数を増やす必要はありません。

もちろん、孤独がつらいときに一人で耐える必要はなく、助けを求めていいのです。ただ、「友達の数が少ない=人間として劣っている」という考えだけは、アリストテレスの友情論から見ても、はっきり間違いだと言えます。

◆ もしアリストテレスがSNSを見たら

2400年前の哲学者を、フォロワー数と「いいね」の世界に連れてきたら、何と言うでしょうか。彼の思想から推測すると、おそらく手厳しい指摘が飛んできます。

第一に、「いいね」集めについて。友愛の本質は「相手を愛すること」なのに、いいねを集める行為の関心は「他人からどう見られるか」、つまり自分自身に向いています。これは相手を愛しているのではなく、自分を満足させる道具として他人を利用しているだけだ、と彼なら言うでしょう。

第二に、相互フォローの「人脈」について。自分に得な情報をくれる人、自分の意見に賛成してくれる人だけを集めるのは、友愛ではなく「利害の友」の典型です。そこにあるのは相手の人間性への敬意ではなく、情報の物々交換にすぎません。

第三に、画面越しのやり取りについて。表情も声のトーンも見えない短文の応酬だけで、どうやって相手の人柄を見極めるのか。手間を省こうとして、友愛そのものを失っていないか、と問うはずです。

◆ 現代からの反論 ── 「ネットの絆」は偽物なのか

しかし、ここで素直に引き下がる必要はありません。現代を生きる私たちには、アリストテレスに言い返せることがあります。

そもそも、学校のクラスや職場の部署は、たまたま同じ場所に集められただけの偶然の集団です。そこでの付き合いこそ、浮かないための「利害」やノリを合わせる「快楽」だらけではないでしょうか。むしろリアルな空間のほうが、同調圧力にまみれた浅い関係を強制されることもあります。

一方ネットでは、年齢も見た目も肩書きも知らないまま、本音や価値観そのものでつながることができます。オンラインで何百時間も一緒に何かに打ち込んだり、夜通し人生について語り合ったりした経験の精神的な密度は、決して浅いものではないはずです。外見やステータスを削ぎ落とした「魂の共鳴」から始まる関係こそ、善の友の入り口ではないのか──そう反論できます。

これに対してアリストテレスは、精神の結びつきを認めつつも、おそらく一つだけ鋭い問いを返してくるでしょう。

「画面の向こうの友は、お前がピンチのとき、今すぐそこに駆けつけて手を握ってくれるか? ネットの関係は、面倒になればブロック一つで責任から逃げられる。その逃げ道の軽さがあってもなお、それを最高の友と呼べるのかね」

本当の善の友とは、相手が病気のときに看病し、困窮したときに自分のものを分け与えるような、痛みと責任を引き受ける関係だ──これがアリストテレスの譲れない一線です。言い換えれば、相手の弱さや面倒な部分からも逃げない関係、ということです。

だとすれば、答えは二者択一ではなくなります。ネットという広大なフィルターを使って、日常の偶然の集団では出会えなかった「気の合う魂」を見つけ出す。そして本当に大切だと思えた相手とは、時間を使い、約束を守り、いざというとき逃げない関係へと育てていく。「ネットの広さ」で出会い、「リアルの重さ」で育てる。ここでいう「リアル」とは、必ずしも対面だけを意味しません。時間を使うこと、約束を守ること、相手が困ったときに逃げないこと──つまり責任と継続と行動のことです。これが、アリストテレスの思想を現代に活かす一つの答えかもしれません。

◆ 教室で悩むあなたへ ── フィリアの視点で見直す人間関係

この友情論は、学校生活の悩みにそのまま応用できます。

クラス替えで疎遠になった友達がいても、落ち込む必要はありません。それはお互いが「快楽の友」のフェーズにいたからで、冷たいことではなく、構造的に自然なことです。卒業や進学で人間関係が入れ替わるのは、いわば人間関係の「衣替え」なのです。

また、「グループのノリに合わせるのに疲れた」と感じているなら、それは楽しさだけでつながる関係──快楽の友の限界に、あなたが気づき始めたサインかもしれません。全員と深く仲良くする必要はありません。礼儀を保ちながら、あなたの成績や立ち位置ではなく、あなた自身を見てくれる相手を、一人だけ大切にすれば十分です。

そしてもう一つ。受験勉強で友達と遊ぶ時間が減ることに罪悪感を持つ人がいますが、本当に深い関係なら、数か月会えない程度で簡単に消えたりはしません。むしろ、お互いの目標に向かう姿を尊重し合える関係こそ、アリストテレスの言う「高め合う友愛」そのものです。

友達の数は、幸福の量ではありません。もちろん、友達が多いこと自体が悪いわけではありません。ただ、数の多さと関係の深さは、まったく別のものです。2400年前にアリストテレスが見抜いたとおり、私たちの心を本当に支えるのは、フォロワーの数でも連絡先の数でもなく、ごく少数の「善の友」です。

あなたのまわりにいる人たちは、利害の友でしょうか、快楽の友でしょうか。それとも、あなたという人間そのものを見てくれる友でしょうか。

そして──あなた自身は、誰かにとっての「善の友」になれているでしょうか。

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